『ソラ情報』

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NO 6287   

痛み | 千木 | ナガスネヒコ 


タカシ記

「ソラ情報」です。

http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20020524203147


2002年5月24日(金)

痛み | 千木 | ナガスネヒコ。

 

3時 突然激しい咳がでる。


「この事 (クロップサークル) を隠し通すと大きな事が起こるのでないかと。

9月11日にとてつも無い事が、、。

 (9月11日に 東海豪雨とテロ)そして知らせなければと思ったのは、宇宙の意識体が仲良くしたいと思っている事です。

それは最後の模様 (堤防から) の握手をしたいのだというのを見て思いました。

本当だと思います。

人間には想像も付かないものすごい事で、これを隠し通さないで知らせなければ。

このことに人間が一人一人気づいていけば、世界に平和が訪れると知らされているのです」

寝る。

しばらくして、目がゴロゴロして目が覚める。


「イシカミです。

一番見たいのがお腹に入れてきた人間の子孫です。

何がいけなかったかと思っています。

それは痛みというものを感じるようにした事が、人間を苦しめる事と よく判りました。

それはほんのちょっとしただけで人間は非常に苦痛を感じるという事がよく分かりました。

けれどもそれを全く取り去る事もいけないことも判りました」

(痛みがないと簡単に人と傷つけたり、殺したりするから)

大きな家の埴輪が見付かったという記事を見ていると。


「千木はホシノミナ (=入母屋) を否定することをあらわしているものなのです。

かって出雲大社も入母屋造りでしたが、ヤマトから千木を付けるように言われたのです。

そしてヤマトの勢力の強い時に、あの様な大きな千木の家の埴輪を作らせたのです」

入母屋造りは綾部地方の農家で私の実家もそれです。


「私 (ナガスネヒコ) はイスキリの仲間でした。

弟のようにしてくれました。

楽になると言われて (イスキリに) ついて来ました。

ようやくソラに上がる事が出来ました。

舟で着いた所は地の果て? でした。

土地の人はとても親切でした。

そこに住むことにしました。

貧しい人たちに舟の作り方などを教えました。

十三湊(とさみなと)と呼ばれるものになりました」

http://sora.ishikami.jp/image_dir/special/obi_crop03/index1.html

後から見つけた模様で、しっかりした倒れ方をしているクロップサークルの模様が気になる。


「これまでの作り方に力を加えて作りました。

ソラから降りてきた事をあらわしています。

何としても知って欲しいと思ったのです」

「ロボットの模様 (堤防からの模様) 頭にアンテナのようなものが描いてあるのは、 (映画の) ‘ET’ の頭に何も無かったので同じに思われるのが嫌だったので描いたのです」

【2005年7月7日訂正】

イスキリの仲間が3人で来たと言っていたのは、降りてくるイシキの記憶違いで何人かわかりませんので消しました。