エントツ(〇十sun)さんの掲示板への 書き込みNO2
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エントツ(〇十sun)という方がタカシ掲示板に書き込まれました。
エントツ(〇十sun)さん の掲示板への書き込みの続きです。
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ソラ情報を理解したいと思いますし、できると思っています。 原子に意識があるなら素粒子や細胞にも意識はあるということです。 ひふみ神示ではどんなに小さなものでも中心に統一していると書いています。 原子ひとつとっても中心に統一されているということです。 当然脈も呼吸もあります。 まだご返事すべてに目を通しているわけではありませんので取り急ぎご報告です。
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エントツ(〇十sun)さんへ Taeko Shirakiさんからです。 「中心に統一している」という日本語の意味がわかりませんが、、、。
ひふみ神示も恐ろしいことが起こると脅かすばかりの予言でないですか? みたま磨きって何ですか?
皆さん、何をしているのですか?
玄米菜食とかネバナラヌということですか?
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(うらよみ) 富士の巻 第13帖 (093) 3-13 何もかもてんし様のものではないか、それなのにこれは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞと申して自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ、一度は天地に引き上げと知らしてありたこと忘れてはならんぞ、一本の草でも神のものぞ、野(ぬ)から生れたもの、山から取れたもの、海の幸もみな神に供へてから臣民いただけと申してあるわけも、それで分るであろうがな。 この神示よく読みてさへ居れば病気もなくなるぞ、さう云へば今の臣民、そんな馬鹿あるかと申すが よく察して見よ、必ず病も直るぞ、それは病人の心が綺麗になるからぞ、洗濯せよ掃除せよと申せば、臣民 何も分らんから、あわててゐるが、この神示よむことが洗濯や掃除の初めで終りであるぞ、神は無理は言はんぞ、神の道は無理してないぞ、よくこの神示読んで呉れよ。 よめばよむほど身魂みがかれるぞ、と申しても仕事をよそにしてはならんぞ。 臣民と申すものは馬鹿正直ざから、神示よめと申せば、神示ばかり読んだならよい様に思うてゐるが、裏も表もあるのぞ。 役員よく知らしてやれよ。 八月二十二日、 のひつ九のか三のお告。
富士の巻 第13帖 (093) 3-13 何もかもてんし様のものではないか、それなのにこれは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞと申して自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ、一度は天地に引き上げと知らしてありたこと忘れてはならんぞ、一本の草でも神のものぞ、野(ぬ)から生れたもの、山から取れたもの、海の幸もみな神に供へてから臣民いただけと申してあるわけも、それで分るであろうがな。 八月二十二日、 のひつ九のか三のお告。 役員よく知らしてやれよ。 臣民と申すものは馬鹿正直ざから、神示よめと申せば、神示ばかり読んだならよい様に思うてゐるが、裏も表もあるのぞ。 よめばよむほど身魂みがかれるぞ、と申しても仕事をよそにしてはならんぞ。 この神示よく読みてさへ居れば病気もなくなるぞ、さう云へば今の臣民、そんな馬鹿あるかと申すが よく察して見よ、必ず病も直るぞ、それは病人の心が綺麗になるからぞ、洗濯せよ掃除せよと申せば、臣民 何も分らんから、あわててゐるが、この神示よむことが洗濯や掃除の初めで終りであるぞ、神は無理は言はんぞ、神の道は無理してないぞ、よくこの神示読んで呉れよ。
春の巻 第19帖 (676)→675 27-19 小乗の行と馬鹿にするでないぞ。 理屈で神を割出したり、そろばんでハヂキ出したり、今の鼻高さんはしているなれど、何処まで行っても判りはせんぞ。 土耕す祈りに神の姿現はれるぞ。 とどまってはならん。 いつも弥栄々々に動いて行かなならん。 大中心に向って進まねばならん。 途中には途中の、大には大の、中には中の、小には小の中心はあるなれど、行く所は一つぢゃ。 ぢゃと申して小の中心を忘れてはならん。 神は順であるぞ。 先づ小の神から進んで行けよ。 ほんとのこと知るには、ほんとの鍛練いるのぢゃ。 たなからボタモチ食っていては段々やせ細るのみ。 鍛えよ鍛えよ。 鍛えればこそ光出て来るのぢゃ。
何もかも神示読めば判る様になってゐる事 忘れるでないぞ、此の仕組 云ふてならず、云はねば判らんであろうなれど、神示読めば因縁だけに判るのざぞ。 石物云ふ時来たぞ。 山にも野にも川にも神まつれと申してあること、忘れるでないぞ、型せと申してあらうが、いづれも仮ざから三千世界の大洗濯ざから、早よ型してくれよ。 型結構ぞ。 何もかも神人共にするのざぞ。 夜明けたら、何もかもはっきりするぞ、夜明け来たぞ。 十理(トリ)立てよ。 七月二十八日、あめのひつくのかみ神示書。
黄金の巻 第19帖 (530)→529 24-19 己の行 出来て居らんと、人の悪口 云はなならんことになるぞ。 己の心 日々夜々改めねばならん。 心とは身と心のことぞ。 元の活神が直接の、直々の守護を致す時来たぞ。 気つけおくぞ。 国々、所々、村々、家々、皆 何なりとしてめぐりだけの借銭済し致しくれよ。 大峠ぞ。 早合点するなよ。 小さい容れもの間に合はん。 かのととり。 一二十
ひかり教の教旨 書き知らすぞ、人民その時、所に通用する様にして説いて知らせよ。 教旨 天地(てんち)不二、神人合一。 天(あめ)は地(つち)なり、地(つち)は天(あめ)なり、不二(ふじ)なり、アメツチなり、神は人なり、人は神なり、一体なり、神人なり。 神、幽、現、を通じ、過、現、末、を一貫して神と人との大和合、霊界と現界との大和合をなし、現、幽、神、一体大和楽の光の国実現を以って教旨とせよ。 次に信者の実践のこと書き知らすぞ。 三大実践主義 弥栄実践 祓実践 (まつり)実践 大宇宙の弥栄生成化育は寸時も休むことなく進められてゐるのざぞ、弥栄が神の御意志ざぞ、神の働きざぞ、弥栄は実践ざぞ。 人としては其の刹那々々に弥栄を思ひ、弥栄を実践して行かねばならんのざぞ。 宇宙の総ては となってゐるのざぞ、どんな大きな世界でも、どんな小さい世界でも、悉く中心に統一せられてゐるのざぞ。 マツリせる者を善と云ひ、それに反する者を悪と云ふのざぞ、人々のことごとマツリ合はすはもとより、神、幽、現、の大和実践して行かねばならんのざぞ。 天地(あめつち)の大祓ひと呼応して国の潔斎、人の潔斎、祓ひ清めせねばならんのざぞ、与へられた使命を果たすには潔斎せねばならんのざぞ。 かへりみる、はぢる、くゆる、おそる、さとる、の五つのはたらきを正しく発揮して、みそぎ祓を実践せねばならんのであるぞ。 役員よきにして今の世に、よき様に説いて聞かして、先づ七七、四十九人、三百四十三人、二千四百 一人の信者早うつくれよ、信者は光ぞ、それが出来たら足場出来るのざぞ。 産土の神様 祀りたら、信者出来たら、国魂の神様 祀れよ、次に大国魂の神様 祀れよ、世光来るぞ。 五月十二日、ひつ九のかミ。
*現在のミタマは悪と善に分かれていて、権力のある人が善になり反抗勢力はすべて悪にされて排除殲滅されてしまって重要な歴史が残らない伝統があるみたいですね。 神示でいうミタマは神示を読むことで善悪善という絶品サンドイッチのミタマ磨きができることを書いていると思います。
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このようにネバナラヌとえらそうに書いて、あたかも自分は偉い存在なのだから と自分を崇めさせ、人間を振り回しているちょい悪のエネルギー体の文としか思 えませんので、到底読めません。 要するに自分が神や指導者としてあがめてほしい思いを持った、ちょい悪原子たちの集団に過ぎない言葉なのです。 確かに2000年には本当に、地球は意識の世界だけ(人類は全滅)にして、E Tのようなプレアデス人が地球を乗っ取る計画だったとは知らされています。 アセンションと精神世界では良いように言っていますし、私も精神世界に囚われていた98年までは、アセンションを受け入れますと呑気なことを言っていまし た。 プレアデスは月を支配して、これまで地球を支配して来ていたので 今の人間よりいろんなことを知っています。 又、人間の恐怖をエネルギー源にしていますので、人間に恐怖の予言を与えてそれで振り回されているのを喜んで見ているのです。 日月神示のことはあまり知らないのですが、原文は丸とかチョンとかの暗号を、誰かが勝手に自分の思っていることを当てはめただけの文ではないのですか? それを人生の指針とされ、いつか恐怖の時代が来るとおびえて暮らされているのが、折角奇跡とも思える人間として生まれてきたのに、その人のイシキはとても嫌がっているようです。 それでそのようなことを信じる人は生まれ変わろうと逝き急ごうとしたり、その土地の原子たちが怒って災害を呼び起こすようです。 何もかもてんし様のものではないか、それなのにこれは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞと申して自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ と書いてありますね。 最初の文だけ読んだのですが、完全な天皇制を信じるようにという言葉ですね。 やはりソラから知らせてきたことと合っていますね。 原子に感謝することは大切で、食べ物などそのものに感謝したらいいのに、なぜそれをテンシに感謝しなければならないの? それを神棚に供えるのでそこに仕事はしないで食べる物が得られると、怠け者で 威張りたい思いの悪者の原子の集団=エネルギー体が結集するのです。 そしてそのエネルギー体に支配されると、そこの人間はどうなるでしょうか? それで宗教組織の幹部が堕落していくのが当たり前になっていくのです。
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