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「ファティマで与えられたメジュゴリエの聖母からのメッセージ」により導かれたアイルランド・クノック大聖堂前のマリア様出現騒動の顛末  


タカシ記

In Deep情報です。

http://indeep.jp/what-is-the-fatima-vision-of-virgin-mary-and-knock-light/


「ファティマで与えられたメジュゴリエの聖母からのメッセージ」により導かれたアイルランド・クノック大聖堂前のマリア様出現騒動の顛末

   

2017年6月10日のアイルランドの報道より

independent.ie

その日にアイルランド・クノック大聖堂上空に出現した光

Youtube

現在、「ファティマ 100周年の期間」が進行していますが、そんな中で先日、アイルランドの「かつて聖母マリアの出現があったとされる場所」に、ふたたび聖母が出現するという「少年の予言」で大騒ぎになったということが報じられていました。

そのことと、そして、ファティマの聖母について少し書かせていただきます。

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「クノックの聖母」から138年目

まずは、冒頭の報道をご紹介します。

この報道記事に出てくる「〇〇の聖母」という言葉について Wikipedia などから、それぞれ短く抜粋しておきます。

ファティマの聖母

ファティマの聖母は、ポルトガルの小さな町ファティマで起きた、カトリック教会が公認している、聖母の出現の一つ。ローマ教皇庁は奇跡として公に認めたが、第三の予言は長年にわたり秘匿した。

クノックの聖母

クノックの聖母は、1879年8月21日の夕暮れにアイルランドのクノックで司祭の家政婦を始めとする十数人の目撃者を前にして起こった聖母の出現を言う。

メジュゴリエの聖母

メジュゴリエの聖母は、1981年6月24日から現在に至るまで毎日、聖母マリアが出現していると数名の幻視者が主張する、ボスニア・ヘルツェゴビナ南部のメジュゴリエにおける聖母出現である。

この記事の「アイルランドのクノック」という場所はもともと聖母の出現話があったところです。

そして、この記事の内容は、「メジュゴリエの聖母がクノックにやって来ると、ファティマで幻視によって知らされた少年の話」という「てんこ盛り」の話なのでした。

ここからです。


Crowds gather in Knock after boy (14) ‘told to expect vision of Virgin Mary’
independent.ie 2017/06/17

14歳の少年がアイルランドに聖母マリアが現れるヴィジョン(幻視)を見たと語った後、多くの人々がクノックに集まる

十代の若者が、アイルランドで聖母マリアの姿を見ることができると語った後、クノックにある聖母大聖堂前には、献身的な信奉者たちが数多く集まった。

その 14歳の少年は、昨年 5月にポルトガルのファチマの大聖堂にいた際、家族と一緒に聖母マリアなどのヴィジョンを見たのだという。

ファティマで聖母のビジョンを見た間、少年は相手から「アイルランドのクノックに聖母マリアのヴィジョンが現れるでしょう」と言われたのだという。

彼のこのスピリチュアルな経験の報告は、インターネットの SNS を通して多くの人たちに共有され、クノック聖母大聖堂があるメイヨー州に旅行することを約束し合う行動が広がった。

少年の父親は、ポルトガルにいる間にその少年が何を経験したかをオンラインで音声メッセージによって説明した。そこで父親は、「息子はファティマにいる間、2日間に渡って、聖母やあるいは他の幻視を見続けたのです」と述べた。

父親は、息子のビジョンの奇跡的な性質については疑いがないとして、「ヴィジョンは、メジュゴリエ(聖母が日々出現していると主張されるボスニア・ヘルツェゴビナの場所)からやって来たとおっしゃっていて、息子にポルトガル語で話しかけたのです。息子は、そのポルトガル語をすべて理解することができたと言います」と語る。

少年がこのようにファティマでヴィジョンを見たと主張した SNS の投稿やメッセージに、視聴者たちの多くはこれを真実だとして受け止めた。

少年の父親はまた、息子に聖母から与えられたメッセージを受け継いだ。そのメッセージの内容は、

「 2017年 6月10日にアイルランドのクノックを訪れたいと思っている方は誰でも歓迎します。その日、クノックで、聖母マリア様が、息子の前に現れるとメッセージをもらっているのです」

というものだった。

「つまり、聖母様がその時、その地に出現するということです」と彼は言った。「その日、聖母様はその場にいる誰をもご祝福なさるでしょう」

「その日の午後3時に聖母は来られるでしょう。聖母様を信じている人はもちろん、信じていない人でもそれを経験することができるのです」


 

ここまでです。

ちなみに、その時の光景はいろいろな人によってビデオなどで撮影されていますかが、このように多くの人々が集まり、

6月10日 クノック大聖堂前に集まった観衆たち

・Youtube

そして、そこで「マリア様」を待ち受けていた人々の上には、雲の間から下のような「光」が現れたのでした。

6月10日 クノック大聖堂前で人々の頭上に出現した光

・Youtube

冷静に考えれば、どう見ても、「雲の切れ目から太陽が出たという……」と思える現象ですが、動画で現地の人々の興奮ぶりを見ていると、「梅雨のあいだの晴れ間はいいですね」と言えるような雰囲気ではないことがわかります。

下はその「光」が出た主瞬間の動画です。

人々が口々に何事か叫んだりしているのがわかります。

 

中には、「ゴーーーッド! ジーザス! マリー! ゴーーーーッド!」と、あらゆる名前を叫んでいる女性の声も聞こえます。

どうして、この光をここにいた人たちは「聖母」だと感じたかといいますと、もちろん、少年の言葉(どうしてこの言葉を人々が信じたのかは不明)があったからということもあるでしょうけれど、おそらくですが、

「 1917年のファティマの聖母だとされる存在の言葉」

も関係しているかもしれまらせん。

ボルトガルのファティマで、聖母マリアとされる存在は 1917年7月13日の出現の際に、子どもたちに次のように語っています。

1917年7月13日の聖母マリアとされる存在による言葉

「いずれあなたがたは、不思議な大きな光が夜空にかがやくのを見るでしょうが、これを見たら、神様が与えたもうたしるしと悟りなさい。それは、戦争と飢きんと教会や教皇様への迫害が、天罰として人類にふりかかる日の近いしるしです」

 

しかしまあ、結論として書けば、このクノックに現れたものは聖母ではないわけです。

あるいは「何でもない」というのが最も近い答えなのかもしれないですが、しかし、

「何でもない、というものではないかもしれない」

という可能性はあるのかもしれません。

それは「 100年前にファティマに現れたものと同種の可能性」という程度の意味で、それは世界のどこにでも現れているものでもあります。

 

 

 

地上に現れる多くの聖母の正体

今回のニュースの話はここまでなのですけれど、この記事に「ファティマ」という言葉が出てきます。

ちなみに、ファティマの期間は 5月13日から 10月13日までの5ヶ月間で、1917年にファティマに聖母とされるものが「予告して出現した」日は、下のようになります。

1917年にポルトガルのファティマに聖母とされる存在が、予告して出現したすべての日(すべて13日)

1917年 5月13日
1917年 6月13日
1917年 7月13日
1917年 8月13日
1917年 9月13日
1917年 10月13日

今はそれから 100年目の期間の中にいますが、100年目のファティマの期間が終わる今年の 10月13日は「金曜日」と、何となくおあつらえ向きにもなっています。

このファティマの聖母については、以前、

ファティマに現れたのは、おそらく「聖母ではない」ことをヤシンタの霊に気づかされる。さらにそこから導かれた輪廻転生のメカニズム
 2015/05/08

という記事で書いたことがありますが、私はその頃、1917年にファティマで「聖母」とされるものが語った言葉すべてに違和感を感じていたことや、3人の子どものうちのヤシンタに告げた「完全に否定的な世界だけを提供する態度」などから考えて、私自身はファティマに現れたものは聖母ではないと確信しています。あくまでも個人的な見解ですので、考え方は人それぞれでよろしいと思います。

では、「何か」というと難しいのですが、7歳で「聖母」と会い「9歳で亡くなった」女の子であるヤシンタのその後の人生から想像がつきます。

ヤシンタの最期の苦痛に満ちた人生・・・。彼女は、ファティマで「聖母」に合った後、

・ヤシンタは歌と踊りの才能を持っていたが、それら娯楽の提供は罪の機会になると考え、音楽も踊りも止めた

・ヤシンタは聖母から見せられた地獄の恐ろしい幻視の影響を非常に強く受けた

・最期は病気で壮絶な苦しみの中でたった1人で亡くなる

ということになっていますが、この「楽しみを避け」「苦行だけ行う」ということについては、たとえばシュタイナーは 1912年の演説で以下のように言っています。

シュタイナー『運命にどう向きあうか』(1912年の講演)より

「楽しさと喜びは、自分を麻痺させ、自己を解消させる。だから、私は楽しさと喜びを避ける」と言う人は、神々から贈られる恩恵を避けているのです。

それは誤った苦行、自虐が目指すところです。苦行者、修道士、尼僧の自虐は、絶えず神々を避けることになります。

苦痛を「自分の業によってやってきたもの」と感じ、喜びを「神が私たちに注ぐ恵み」と感じるのが適切です。

神が私たちの近くにやってきたしるしが、楽しさと喜びなのです。

世界が私たちにもたらす善いもの、美しいものに直面して、私たちはつぎのように感じなくてはなりません。「神々は、世界は美しく善いものだ、と見た」と聖書が表現しているとき、人間が輪廻の経過のなかで、最初は善いものだった世界をどのようにしてしまったかを認識しなければなりません。

このシュタイナーの言葉が正しければ、ヤシンタは、

「わさわざ神から遠ざかる行為を聖母から命じられた」

ということになってしまいます。

 

私は、このヤシンタを見ていると、小説、あるいは映画の『エクソシスト』の犠牲者を思い出します。

そして、今では、世界中で聖母だといわれているもののうちのいくつかは、このエクソシストという架空のストーリーの中で少女リーガンの中に入っていった存在と同じものに思えます。

また、ファティマの聖母は、子どもたちに「地獄(死者の世界)」と「未来」を見せていますが、これらは本来、聖書では「主によって厳しく禁じられている」ものだと思われます。

旧約聖書『申命記』18章 10-12節

あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、 呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。

これらのことを行う者をすべて、主はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるであろう。

 

そんなわけで、今回のアイルランドの聖母出現の報道を知りまして、思い続けていることを少し書きました。

今のこの期間は聖母絡みの事例がまだまだ起きそうです。

 

そういえば、「聖母」に関して、最近、フランシスコ法王の言葉でちょっと興味をひくものがありましたので、それをご紹介しておきたいと思います。

フランシスコ法王 「メジュゴリエの聖母出現」に疑念

AFP 2017/05/14

ローマ・カトリック教会のフランシスコ(Francis)法王は13日、聖母マリアの出現地として年に100万人ものキリスト教信者が訪れるボスニア・ヘルツェゴビナのメジュゴリエについて、その信ぴょう性には深刻な疑念があると語った。

1981年6月、当時はユーゴスラビアだったボスニア南部のメジュゴリエで6人の子どもたちが聖母マリアが現れたと証言して以来、同地には毎日のように聖母マリアが現れるとされている。

しかしフランシスコ法王は、訪問先のポルトガルからバチカンに戻る機内で、メジュゴリエでの聖母マリアの出現については、現在進行中のローマ・カトリック教会の調査によって疑念が生じていると述べ、「子どもたちが見た女性は聖母マリアではない」と述べた。

さらに自身の個人的な見解として「明日、この時刻にここへ来ればメッセージを伝えるなどと、聖母マリアが言うわけがないのは明らかだ」と語った。

フランシスコ法王は2013年にも、「聖母マリアは、毎日メッセージを届ける郵便局長ではない」と述べ、メジュゴリエの聖母マリア出現に疑問を呈していた。

というものです。

この中に、

> 「明日、この時刻にここへ来ればメッセージを伝えるなどと、聖母マリアが言うわけがないのは明らかだ」と語った。

というフランシスコ法王の言葉が書かれていますが、1917年6月13日に、ファティマの「聖母」とされるものは以下のように述べています。

1917年6月13日のファティマで子どもたちにかけられた言葉

「来月の十三日にも皆さんにここに来て欲しいのです。それから毎日ロザリオを唱えることも忘れずにお願いします。勉強して字が読めるようになって下さい。そうしたら私が一番願っていることを皆さんにお話し致しましょう」

 

聖母とされる存在は「〇〇をすれば、△△を与える」という褒美と罰的な理論を説いています。これを尊いと感じるか、そうではないと考えるかによって解釈は変わるでしょうけれど、日本人から見ると、この理論は「聖なる」理論ではないように思えます。

 

そして本物の聖母は今どこに。