第03章 第07話 持統天皇と大伴部博麻
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●第03章 第07話 持統天皇と大伴部博麻(おおともべのはかま)|||●戦前誰もが知っていた英雄 和気清麻呂 【CGS 日本の歴史 4-2】
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今の日本があるのは大伴部博麻(おおともべのはかま)さんのお陰だったとは、知らなかったぁ!
戦前誰もが知っていた英雄 和気清麻呂 【CGS 日本の歴史 4-2】
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愛国者・大伴部博麻大伴部博麻(おおともべのはかま:生没年不詳)は飛鳥時代、筑後国上陽咩郡(かみつやめぐん)出身のヤマトの兵士である。 持統天皇の勅語大伴部博麻の碑には以下の言葉が記されている。 一個人に与えたられた唯一の「勅語」これまで、一個人に与えたられた「勅語」は、これ以外に存在しない。 友好国の百済が滅ぶ西暦660年7月、朝鮮半島では「唐・新羅」の連合の前に「百済」が滅ぶ。 大陸の戦いに従軍する博麻中大兄皇子(天智天皇)を中心とするヤマト朝廷は全国から兵を集め、661~662年、三派に亘り五万の援軍を送る。 白村江での敗戦天智2年8月(663)「白村江の戦い」では、その気象、地形に不慣れだった日本軍は、唐の「水軍」の前に一昼夜にして軍船の大半炎上壊滅する。 捕虜として連行される博麻博麻は捕虜として唐軍に取られられ後、「長安(西安)」に連行される。 唐が日本を攻める計画を知る長安に連行された博麻らは、捕虜とはいえ拘束されること無く自由に長安を往来できた。 自分を犠牲にし、日本を守った博麻この事実ををヤマト(日本)に知らせなければと、博麻は自分を「奴隷」に売り、他の四人を日本に帰す事を「土師野富咩」らに相談する。 博麻が日本へ帰って来る奴隷として長安に留まった博麻はそれからおよそ20数年、知り合いの「唐人(外交官、新羅使とも)」から倭国に行くが一緒に帰るかと声をかけられる。 持統天皇より勅語を賜る持統天皇はその愛国心を讃えて博麻を務大肆従七位下に任じ、絹を四匹(一匹=四丈)、綿を十屯、布を三十端、稲を千束、水田を四町与えた。 同姓の人物 大伴部赤男大伴部赤男(おおともべのあかお)について、博麻との関係は不詳だが出身地が異なり、両人とも生没年不詳。
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