坂本廣志 宇宙の始まりからやって来たのです! 宇宙人との交流の始まり|||●【整体師・セラピストは超必見】ガチで効く「魔法の指の作り方」
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坂本廣志 宇宙の始まりからやって来たのです! 宇宙人との交流の始まり
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坂本廣志氏は宇宙の始まりからやってきたのです!
宇宙人との交流の始まり その間に宇宙と地球の両方での生活を繰り返しながら、多くの宇宙人種族と 出会いました。 その書き尽くせないほど膨大な宇宙人との交流の記録の一部を紹介します。 18000年前にフヤナはこの地球にやってきましたが、もともとはこの宇宙の 生命発祥の銀河に生まれました。 故郷の銀河では伝説に残る大管理者として慕われていました。 その銀河が超能力を進化させていた中等生命体の種族によって侵略され、 ほとんど存続できない状態まで破壊されてしまいました。 高等生命体の大管理者だったフヤナはその宿敵の種族を追いかけて、魂の ままで地球までやってきました。 宇宙ではそれまで女性でしたが、地球では男性に生まれ変わり、転生の度にその 宿敵の種族に殺され続けるという、壮絶な戦いを繰り返しましたが超能力を 磨いて、ついに最高生命体と同等の能力を開花させることができました。 さらに地球の先住民である最高生命体の竜神様からフヤナの脳に入れられた 最高生命体の知識を、宇宙にいる高等生命体の宇宙人たちの脳にもコピーする ことで、宇宙人たちも高等生命体から最高生命体まで進化できるようになりました。 肉体を維持したまま最高生命体の知能(知能指数1000万)まで進化したことは 前代未聞の出来事でこれを契機に飛躍的な進化が始まります。 フヤナが地球で培った鉱物探査の能力が役立って 特に鉱物探査では進化が停滞 していた宇宙では計り知れないほど多くの未知なる宇宙の扉を開いていきます。 今では肉体を維持したまま科学を進化させて始まりの宇宙まで帰還することが できています。 高度な科学を持ちながらも科学を物理次元に還元することなく無機質のままで 存在している宇宙の全てを 究極の科学を体現した物質宇宙へと進化させるために フヤナは常に貢献しつづけています。 宿敵であった宇宙種族も宇宙から完全に抹消され、地球での任務は終わりました。 しかしこの地球で初めて男性として生まれ代わり、宇宙でも希な男性として 誕生したフヤナは、自分の故郷は地球だと感じて、少しでも長くこの地球に 滞在したいと願っています。 現在世で流布されている宇宙や宇宙人に関する情報はほとんどが偽物です。 宇宙には宗教も無ければ、人間が考えているような神様もいません。 人間を進化させないように、本当の宇宙のことが分からないように目隠しをされてきたのです。 坂本廣志プロフィール 地獄谷にて 地球編【1】 昭和21年(1946年)4月6日に神戸で生まれる。 1945年8月6日に広島にいた母の胎内ですでに被爆していた。 昭和32年(1957年)11歳の時に、癌にむしばまれ余命3ヶ月と宣告されて、 同年7月26日、木星で純血種のブルー種族の地球の管理者の宇宙人に癌を治療して いただきました。 昭和36年(1961年)3月28日、15歳の時に、父が痔の手術で医療ミス(床に 落としたままの注射器で脊髄に麻酔を打たれる)によって、死亡しましたが、宇宙人ヤコフに父のクローンの肉体を創ってもらい、 4月14日に父の魂をクローンの 肉体に入れ替えて蘇ることができました。 (その時にヤコフから父は10年は保たないこと、あとは病気で寝付く状態になることを 教えられる。) 後年、クローンの肉体を離れた父の魂は、ヤコフが宇宙へ連れていき生き返らせています。 現在は私たちの銀河の「最高指導者」として活躍しており、地球で進化させた 速読術をさらに宇宙で進化させています。 父のこの出来事によりすぐに科学者になることは諦めて、 音楽でお金を稼いで学資を創ってから科学者になることを決意しました。 この方法に宇宙人も納得してくれたので、宇宙人の学習法を取り入れることになりました。 宇宙人は電波を受信する装置を作ってアメリカで音楽を記録したもの(ジャズの知識が 入ったもの)を私の脳に直接入れ込みました。 脳に入った音楽の知識を肉体の感覚にダウンロードして実際に使えるように 猛勉強と猛訓練をしました。 同年3月に音楽学校を受験しましたが、縁故関係が強い学校だったので受からず 普通高校に行きました。 そのころにヤマハのエレクトーンを買って、パーティなどで演奏しながら月賦を 払い、妹にもエレクトーンを教えていました。 演奏をして稼いだお金は、母が貯金すると言って全部取り上げられていました。 しかし、実際はほとんどのお金を親戚にばらまいていました。 それを知ってあわてて自分たちの家を建てる準備を始めました。 自分たちの家を建てることに母は猛反対でしたが、ヤコフに言われていた 場所に月賦で土地を買うことができ、住宅の積み立てもはじめました。 稼ぐ金額が大きかったので、母がばら撒いたお金で親戚は次から次へと 家を建てていました。 昭和40年(1965年)19歳の時に、妹がバンドでヤマハヤングジャンボリーの コンクールで全日本1位になりました。 それを見て父がようやく音楽の道を認めてくれたので、妹と二人でビクターに 入りました。 そこでは演奏と指導に携わり、音大の教授もバッハのオルガン奏法を習いに来ていました。 妹はラジオ関西のレギュラー出演をしながら、大阪や神戸でリサイタルをしており、 また、日本楽器の神戸支店長の縁で、ナイトパンチのテレビのレギュラーも するようになりました。 そのころは、学業と演奏で寝る時間は4時間くらいでした。 昭和44年(1969年) 3月大学を卒業しました。 昭和45年(1970年)に、関西テレビの代表取締役に私が間違いの無い、演奏者だという 紹介状を買いていただいて、ハモンド社のH112番の楽器を買うことができました。 当時はアメリカから届くのに、船で一ヶ月もかかりました。 同年11月23日に父が倒れました。(ヤコフから未来を見せられていたので知っていた。 同じく神戸の地震も見せられていた) 昭和46年(1971年)に、妹は第八回インターナショナル・エレクトーン・グランプリコンクールで入賞し、日本大会では一位になりました。 同年12月13日に、新しく建てた家に引っ越して、父は三階の見晴らしの良い部屋で養生することになりました。 やっと地震がきても大丈夫になったと思い、いつでも宇宙に行くことが出来ると 安心していました。 昭和47年(1972年)1月に、母が家の前で転んで大腿骨骨折の大けがをして4月24日まで3ヶ月入院することになりました。 父と母の二人に家政婦を雇うことになったので、稼ぐために演奏しながら いつ宇宙に行けるのかと思っていました。 そのころお金に狂っていた母は、いくら稼いでもお金をばらまいてしまうので 科学の勉強をするために大学院に行くこともできなくなりました。 父に「地球にいたくない」と言うと、クローンの父は涙をこぼしながら 「行かないでください。行かれたら再生計画が始まったらどうすればいいのか」と 言われました。 「私が死ぬまでは大丈夫な取り決めをしていますから」と答えて、屋上に行って テレパシーでヤコフに知らせました。 すると「フヤナはしばらく地球にいなさい。大管理者様も 『両親を見送るまで地球にいても宇宙時間からすれば少しですので 待ちます』と言っています」と言われましたがこれから科学の勉強もできなくなり どうなるのかと不安がこみ上げて、25歳の 私の心は冷え切っていました。 坂本廣志 宇宙の始まりからやって来たのです! 宇宙人との交流の始まり
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