例によって正月早々からトカナの記事。

以前にも、伯家神道の予言についてはどこかで取り上げたことがあったと記憶する。
大正天皇は、在位が1912年7月30日〜1926年12月25日と短い。大正天皇が即位した1912年+100年は2012年である。私のブログでは2010年に天界による日本終了の宣言がなされて、翌年の2011年で実質日本が終了したと考えている。2012年の時点において、伯家神道の予言が示す100年のタイムリミットは実現した(過去形)と見なせるのだ。実際前倒し。というわけで、日本はすでに滅んでいるので、あまり違和感のない記事だ。キリッ;
白神じゅりこ氏の指摘するように天皇陛下の「玉音放送」は、日本の存亡にかかわる非常事態の時になされている。ちなみに今回で3度目になる。うわさされる100年問題もあり、譲位のご意向は天皇家の存亡にも関わっているのかもしれない。

トカナのこの記事は良い視点の良記事で乙。

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2017年、天皇家終焉で日本が滅亡? 伯家(はっけ)神道の予言に記された「100年リミット」の恐怖!
2017.01.01.
http://tocana.jp/2017/01/post_11865_entry.html

2016年8月8日、天皇陛下は自らのお気持ちを国民に向けてビデオメッセージで述べられた。ビデオの中では、「高齢のため公務を十分に果たすことが難しくなるかもしれない」と心配されるなど、「天皇陛下が生前に皇太子殿下へ譲位する」という意志を示されるお言葉が語られた。この天皇陛下の「譲位」のご意向は、日本全土に激震を与え、今も論争が続いている。
 天皇陛下のご存命中の譲位に関しては、天皇制において決して異例なことではない。しかし、江戸時代の光格天皇以降、およそ200年という長い間、譲位は行われていなかったのだ。
 ではなぜ、天皇陛下は、このタイミングで譲位のご意向を示されたのか?
 その謎は、「伯家神道の予言」に隠されていたという噂がある。
 
■伯家神道とは?

「伯家神道(はっけしんとう)」とは、宮中祭祀を司る白川家によって、代々伝わってきた古神道である。
 第65代花山(かざん)天皇の皇孫にあたる延信王(のぶざねおう)の曾孫である白川家の顕広王(あきひろおう)が、神祇官の長官に任官されたのが「伯家神道」の始まりである。以降、白川家の子孫が平安時代から明治時代末期に至る800年以上という長きにわたって「伯家神道」を世襲してきたのだ。
 しかし、公には明治維新で神祇官制度は廃止されており、その後、1961年には白川家の跡継ぎがなく断絶してしまい、伯家神道の正統は途絶えてしまった……。

■伯家神道の予言

 その、伯家神道には奇妙な予言がある。

伯家に伝えられた“祝(ほふり)の神事”を授けられない天皇の御世が100年続くと、天皇家が終わり、日本が滅亡してしまう

「祝の神事」とは、白川家が代々の天皇に伝授する皇太子が天皇になるための秘行であり、“天皇が神と一体化するための秘儀”なのだという。
 
 そして、この「祝の神事」を最後に受けたのが、明治天皇だ。
 秘儀の伝統が途絶えたきっかけは、フリーメイソンなどの闇の世界支配勢力が引き起こしたといわれる明治維新だ。これによって、欧米文化が進み、日本の伝統文化が破壊され、この神事は行われなくなったといわれている。
 つまり、大正天皇、昭和天皇、平成時代の今上天皇は「祝の神事」を受けていないのである。

 そして現在、大正天皇が即位した1912年からちょうど100年を過ぎたところである。つまり、「伯家神道」の予言が真であるとするならば、平成時代の今上天皇もしくは、次の天皇陛下が最後の天皇となり、天皇家が終わる可能性があるということになる。そして、さらに恐ろしいことに日本が滅亡してしまうというのだ!

■日本に危機が迫っている!

 そもそも、天皇陛下自らメディアを通して、国民に直接メッセージを発せられることは、歴史を振り返っても極めて異例なのだ。

 1回目は、1945年(昭和20年)8月 15日に、昭和天皇が太平洋戦争の終戦をラジオを通して告げるいわゆる「玉音放送」。2回目は、2011年(平成23年)3 月16日、平成時代の今上天皇が東日本大震災直後にビデオメッセージの形式でお言葉を述べられた。
 このように、天皇陛下がメッセージを述べられた時というのは、いずれも「日本が消滅するかもしれないという危機的状況」ばかりなのだ。
 そして、3回目が今回の「譲位問題」に関するお言葉である。


 だが本当は、天皇陛下は「日本が危機的状況」であるということも含めて、国民に何かを伝えるべきとのお考えがあったのではなかろうか?
 日本は2011年、東日本大震災という未曾有の大災害に見舞われた。そして、今年は熊本地震が起こり、たびたび各地でも大きな揺れが認められた。東京直下型地震、富士山噴火など天変地異の危機が高まっていることは明白だ。伯家神道の予言が示す100年のタイムリミットを越えた今、一刻も早く何とかせねばならない状況なのだ。
 もしかすると、天皇陛下は再び神と一体化する「伯家神道」の秘技を復活し、神と人間が一体化した天皇陛下となることによって平安に満ちた「神の国である日本」を取り戻そうとお考えなのだろうか? いずれにせよ、日本の未来をお考えの上でのご発言であったことは間違いないだろう。
★白神じゅりこ

※関連記事;
【滅亡予言】2017年で天皇家が終焉し日本が滅亡する…「伯家神道の予言」に記された「100年リミット」
http://jishin-yogen.com/blog-entry-9601.html




↓このような話しがあったのを思い出した。


日本軍が中国で見た予言する化物「お前達の国は滅び三度の再生を果たす」
http://www.oumaga-times.com/archives/1043410585.html

113

誰か日本軍が中国で見た予言をする化け物の話知らない?


130

じゃ遠慮なく貼るよ


祖父が戦争中に中国で経験したという話

日本の敗色が濃くなってきた頃、祖父のいた中隊は中国の山間の道を南下していた。
ある村で一泊する事になり、祖父達下士官は馬小屋で寝る事になった。
(多くの兵は野宿だったので屋根があるだけ、上等だったらしい)
真夜中に馬が騒ぎ出し、灯りをつけてみると天井から身体は猿、顔は老婆の生き物がぶら下がっていた。
銃を撃ったが、まるで当たらない。
騒ぎに気づいた上官がやってきて、その生き物をみて驚きながらも土地の人間を連れてきて通訳を介し
「お前は何者か?何か伝えたい事があって現れたのか?」と尋ねた。
すると生き物は
「お前達の国は滅びる。だが三度の再生を果たすだろう」
と言った。
「それは吉予言か?」
「そうではないとも言え、そうだとも言えぬ」
「再生するのだろう?」
「四度目は無い」
そう言って、その生き物はするすると梁を伝い消えていった。
「追って捕らえますか?」と聞く祖父達に上官は「あれは常世の者では無い、ほおっておけ」と言ったという。


戦後を一度目の再生と考えるなら、残り二回か・・・・。
四度目は無いらしいからな。


131

この話の怖いと思ったのは
その後の書き込みに
1回目が第二次世界大戦敗戦
2回目が阪神大震災
3回目が東北大震災

て書かれてたこと


134

>>131
震災は被害はあったが滅んだとはとうてい言えないが?


139

>>134
俯瞰するとそうかもしれんが当時はこの世の終わりかと思ったよ
余所では大きな地震だったなーくらいに感じたのかもしれんけどね
書きこんだ人もそれだけインパクトあったんじゃないの


143

>>139
いや当事者ど真ん中でも国が滅んだわとは流石に感じなかったよ
地域がやばいとは思ったけど
この手のフォークロアはこじつけが主流だとしても敗戦はともかく震災はちょっと無理あるだろ
そうすると逆にあと二回滅べるとかちっとも怖くはなくなるけどな


205

>>143
いや原発事故はオワタと思った。

だからあと一回

引用元: http://viper.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1445628648/




ご発表は平成28年8月8日 888が気になる。


象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)
http://www3.nhk.or.jp/news/special/japans-emperor/

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(宮内庁提供)

戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。
私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。
本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。

即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。

そのような中,何年か前のことになりますが,2度の外科手術を受け,加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考えるようになりました。既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています。

私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この間(かん)私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。

始めにも述べましたように,憲法の下(もと),天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを,切に願っています。