2012年10月28日(日)
綾部 私市古墳(きさいちこふん)
高速道路が通る時にこの小山が遺跡であることがわかリましたが、京都府一大きな古墳なのに完全に忘れ去られていたのは何故か?と、詳しく知らせてきました。
倭の国の中心がここであった
とのこと。
ヤマトの推古天皇=キサキに・イチ番嫌われた物部氏のお墓でもあったのです。
葺き石はイシカミが地球に降りなりは、柔らかくてとろとろで崩れてくるので、周りを石に固めて形を保持したと伝えられています。
穴の空いた埴輪の筒は、高速道路で再び世に出ることを知らせていました。
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