ひふみ神示,日月神示

良い宇宙人と悪い宇宙人



NO1562

物部の娘、オオイ・アマノヒト、大文字焼き 


タカシ 記

「ソラ情報」です。

http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20040817142245


2004年8月17日(火)

物部の娘、オオイ・アマノヒト、大文字焼き。

2004年8月17日


「物部の娘です。

ようやく降りることができました。

(物部が滅ぼされた後) 物部一族の男達は石を信じる人たちによって匿われ、 散り散りになりました。

女はいつしか (蘇我の) 言われるままになりました。

それで (物部の) 血は残されたのです。

それでも石を信じることは禁じられました」

寝る。

(それ迄平和な国として治めていた物部を慕う人が多い反面、朝鮮から来て仏教を強制する蘇我を嫌い、その後のヤマトの権力者は思うようにならなかったので、 物部の力を利用した)


「それは悲しいことでした。

仏の教えを信じないと倭の都も、“オオーイ アマノヒト”(オオシ・アマノヒト) と呼ぶようになると言われたのです。

http://kammuri.com/


オオシ・アマノヒト(=凡海郷) とは、倭の国の海辺の平野の村の人たちのことです。

倭の国の海辺の人たちは、山の上のヒルイ・マナ (ヒルイ=リュージンの子供に祈る人) に支配された人たちに責められ、悲惨な毎日を送っていました。

逆らう者は土の入れ物 (埴輪) の中に入れられたのです。

(丹後の資料館には、人が入れるくらいの埴輪がある)


(海辺の人たちの悲惨な状態を見て) イシカミが怒って沈めたのです。

(ムーと同じで、人間の苦しみを止めさせた)


父 (物部守屋) の最後は以前お知らせした通りで、いつもお参りをしていた山、 丸山 (=私市丸山古墳) に埋葬することで最後とされ、いつしか忘れ去られていったのです。

(埋葬はさせるが拝ませないという意味?)


そして倭の国の宝物は全て、ヤマトに運ばれ、誰も “石” のことを言わなくなり忘れさられていったのです」

「倭の国は海辺の者と、イカルガの者と仲良く暮らしていました。

(今も残っている綾部のミナツキサンの祭りは、由良川を遡ってイカルガまで来ていたので、 “海の皆さんが着きましたよ” という交易の名残だそうです)


けれどもリュージンは、イ = 猪の者 (福知山の3段池のそばの権力者?) も支配し、ヒルマナイの者と一緒になったので、平和な倭の国も争いの好きな国となり、ヤマトと結びつきました。

(星原や君山などあちこちに山城の跡があるのは) イシカミである山の神を祭らせないように監視するためです。

それは (物部の人たちが集まって勢力を盛り返さないように) 見張りをするためでもあったのです」


【ビジョン】


“背広を着た男性がデパートの中の通路の交差点で、大の字になって寝るアニメ?”

(昨日の穀物模様 = 南極を中心に大陸が配置されるように、イシカミ達が降りてきたようです。

通路の交差点は丁度、穀物模様の真中のようでした。

そして寝転んだのが 南極のいて座の王だそうで、人間嫌い?)

昨日は京都の大文字焼きでした。


「イシカミは山の神なので、山を焼くによってイシカミを滅ぼしたと思わせるために、仏教の指導者が始めたのです」

奈良の春日山の山焼きも同じです。



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